当社は2008年3月に設立20周年を迎え
(株)リック工房と合併し業務の効率化と新しい
時代に飛躍する基盤づくりを図っています。
2000年に私たちが主宰する「すぐやろ工務店会」では
自然素材の「雨楽な家」を開発し、すでに
全国で1500棟以上も建築してきました。
このたび「雨楽な家」のHPをリニューアルしました。
お知らせいたします。
http://www.urac.ne.jp
『孫にツレができまして』
「ねえ、ねえ。きょうはどこに行くの?」
「どうしようかなあ」
ふたりで何やらコソコソ話。
言葉にならない2歳になったばかりの孫とツレ。
「よし決めた。いこっ」
二人は手をとって歩き始めました。
江坂公園でふと見たほほえましいシーン。
チビたちには相通じるものがあるんですね。
生後8ヶ月頃の孫です。
『佑から祐へ。神宮の主役に期待したい』
大学野球日本一を争う熱き戦いは東洋大学の
22年ぶりの優勝で15日に幕を閉じた。
昨年は斉藤佑樹君の活躍で早稲田大学が優勝。
今年も仕事の合間をぬって球場にかけつけた。
目当ては明治大学の野村祐輔君だ。
ご存知野村君は昨年の甲子園で準優勝した広陵高のエース。
この日の登板はなかったが、ベンチ前に目を移すと
たくましくなった背番号23の野村君がいた。
その日の試合を見届け、その足でそそくさと大阪へ移動した。
明大は準決勝で東海大に大敗したが、悲願の日本一を
目指す野村君の今後に期待したい。
『いにしえの匠の技が冴え』
日本三奇橋の一つである錦帯橋。
寄せ木細工のようにまっすぐな木を組み合わせて
精巧かつ頑強で幾何学模様のようだ。
しかし不落とうたわれても自然災害にはかなわない。
老朽化した錦帯橋の全面かけ替え工事は01年から3年を要した。
1950年のキジア台風による流失以来の大仕事であった。
200年住宅という言葉が先走りする折、当時その工事を仕切っていた
海老崎粂次さんの言葉を思い出した。
「ベニヤ板をペタペタ貼り付けるような仕事はいかん。
本物の家は100年以上もつんだ。匠の技と魂は
しっかり代々継承すべきだ」
海老崎棟梁の言葉はとてつもない重みがある。
『だれにも天与の尊い道がある』
新幹線の新大阪駅あたりでふと見た電光掲示板のスーパー。
秋葉原のど真ん中での残虐な殺傷事件に驚かされた。
なぜ最近、若者は暴走するのだろうか?
人は他人と比べ悲観することがある。
自分で志したことに思案にあまる時もある。
人になぐさめや後押しを求めたくなることもある。
ささいなことで自暴自棄になってしまうこともある。
営業マンが心悩むとき、私は松下幸之助翁の言葉を
拝借して次のようにエールを送る。
人には自分だけの道がある。
広い道、狭い道、そしてのぼりもくだりもある。
しかし所詮はこの道しかないのである。
他人の道に心をうばわれても道は開かれない。
心を定め汗して懸命に歩けば必ず道は開かれる。
そして深い喜びが生まれる。
懐かしくも美味な『寒干し大根』
『雨を楽しもう』(雨楽です)
梅雨はうっとうしい。しかし視点を変えると楽しくなる。
雨が降ると空がきれいになる。空気もおいしくなる。
大気中の汚れが洗い流されるから。
雨が上がると山も草木も花もくっきりとよみがえる。
人も犬も何もかも元気になる。
雨の日は娘さんや子どもたちがよろこぶ。
傘やレインコート・雨靴でおしゃれができるから。
かなり昔の映画で、ジーン・ケリーが歌い踊る、
『雨に歌えば』を思い出した。
軽快にウキウキ心踊るシーン・・・・・雨は楽しいなあ。
『春雨じゃ、濡れて行こう』の月形半兵太も格好いいし。
そういえば南こうせつも雨の唄を歌っていたなあ。
“雨が空からふれば・・・・・・♪♪”
手前味噌だが『ワクワクだね』
鞄の中にある1冊の本。今回上梓した『自然素材の家』だ。
この本は何回も手に取って開けたくなるから不思議。
一人善がりだけどあきがこない。肌身離したくない。
協力して頂いた方に本当に「ありがとう」です。
構図も写真も文章も何もかも気に入っているし、
仕上がりは写真集のようだが、結構エネルギーを使った。
気に入った文章やコピーは何度も声に出して読み、
写真やイラスト・スケッチはじっと眺めてみる。
いつまで続くことやら……。
今頃になって本を大切にする人の気持ちが理解できた。
和紙でブックカバーでも作ってみるか。
福を呼ぶ守護神フクロウ
伊予弁で『内子町に来てや』
伝統の技が息づく愛媛県の内子町を訪れてみた。
四方を山に囲まれ白壁の町家が軒をつらねる町だ。
宿に着いてすぐ歌舞伎劇場『内子座』へ。
ここは幼少の頃に父のバタンコで来た記憶がある所だ。
受付の人に回り舞台・花道・桝席などを案内してもらった。
1985年に町民の熱意で復元された内子座は
昔は歌舞伎に文楽・落語・映画が演じられ、地域の人の
心の糧であったにちがいない。芸能を愛した人々が
農閑期に楽しみにしていた唯一の拠り所であったと思われる。
今も年間80日近く劇場として活用されているらしい。
内子座から商いと暮らし博物館、そして
上芳我邸などの家並みを見学して帰路についた。